NYの夜景 |  わたしkoromi。普通の人。カナダ?NY?

NYの夜景

きれいなものを見ると、胸がキュンって切なくなる。。。はずなんだよね。なんだか、きれいな夜景とか花火とか見ると、なんでだか分らないけれど泣きたくなるような気分になる。

でも、今回のNYの夜景を見ても、その感覚がなかった。疲れているのかなぁ、心が。



 わたしkoromi。普通の人。カナダ滞在中。

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 わたしkoromi。普通の人。カナダ滞在中。


ねぇ、突然、愛する人や家族をすべて失ってしまったら、とてつもなく一人な感じがしない?辛くても、淋しくても、誰かに寄りかかりたくても、誰もいないの。愛する人を失うって。。。ものすごいことだよね。どうしたらいいんだろうって途方に暮れちゃう。でも、誰にも助けを求められなくて。どうしたらいいんだろう。


やっぱり一番は、忘れることなのかな。楽しかった日常や、幸せだと感じた瞬間、そんなことを思い出すたびにつらくなるでしょ。でも、どうにもならない。。。


やっぱり、先だけを見て生きていくしかないんだよね。


でもそれって、簡単なことじゃない。全然簡単なことじゃない。全然。


幸せだと思う瞬間って、いっぱいある? 楽しいって思う瞬間、けっこうある?


koromiは、20歳の頃に気付いたことがある。なんだか、それまで楽しいって思えていたことが、すべて楽しいことじゃなくなった。楽しいことがなくなった。何やっても楽しくなくなった。幸せだと思う瞬間さえも、なくなった。

そして、考えるようになった。


何で、生きているんだろう?何で生きていなきゃいけないんだろう。

そして、生きる理由を探し始めた。というよりも、無理やり生きていなきゃいけない理由を作り出した。自分にハードルを作って、それを超えるために日々努力する。それがkoromiの生きていなきゃいけない理由。我ながら、上手いこと考えたと思うよ。これをしだしてから、何で生きていなきゃいけないのかなんて、考えなくて済んだから。


そして、その副産物として、周りの人からも、いつも頑張っていてすごいね。って言われるようになった。

でも、だって、あたりまえじゃない?そうしなきゃ、生きていかれないんだから。何が幸せか分からなくて。何のために生きていなきゃいけないのか分らなくて。だからそうしているだけで、こっちだってただ、必死なだけ。


自分のことを見ていてくれる人がいればいいと思った。仕事だったら、成果がある。もちろんそんなの、他の人にだって代わりはできる。でも、自分がそこにいる間は、誰にも負けない。誰よりも必要とされる存在になる。そんなことで、ちょっと安心感が味わえるような気がした。


自分なんかが居なくても、誰も、なにも変わらない。自分がこの世の中に存在しなくても、なにも変わらない。そんな現実が、ものすごく。。。だったら、生きている意味なんてないじゃない?って。


仕事は、自分を裏切らない。

じゃぁ、人は?


人を信じられないと嘆くよりも、人のことを信じてバカを見る方が100倍ましだと思う。


でも、人に、変化しないことを求めるのはものすごくあり得ないこと。あり得ないことでも、信じられるということはすごいことだと思う。それが、愛かなとも思う。あり得なくても。。。そうなんだという人がいて、それを信じたいと思えるなら、それはすごく幸せなことだと思う。


koromiにとって人を愛するってことは、その人が変わるという当然の可能性に対して目をつぶる。。。つまりは、全ての物事に関して、最大にその人に対しては寛容になるということ。

それは。。。とても、恐ろしいことでもある。


失った時に。。。koromiの愛し方は、自分から愛する者を失う愛し方ではないから、それで、失った時のダメージは、計り知れない。本当に。計り知れない。


やはり、人は変化するものだと思い知らされる。

ずっと、変わらない。そう信じたがった自分が悪いのだけれど、でも、やはり変化しないということも、永遠の約束もこの世の中に。。。いや、koromiの周りに存在しないのだということが、koromiの心をものすごく傷つける。


大丈夫、また、もとに戻っただけだから。しばらく自分のことを見ていてくれた人がいただけのこと。束の間の幸せというか、休息。また、探し続ける、頑張り続けるだけ。いつか、自然と命が消える時まで。


また自分で生きる理由を作って、生きていくしかない。もともと、一人だから。だれがこの、生きていくことの苦しみを分かってくれる?なんて、期待しない。結局みんな、自分が生きていくことに精いっぱい。人のことを気にできるほど、思いやれるほど、余裕なんてないだけ。だから、しょうがない。